いつもお世話になっている師匠のお手伝いです
前回は、薪割り(薪割りをしよう!~やっぱり薪割機!?~)のお手伝いでしたが
今回は、稲刈りです!
来春には、苗づくりから田植も手伝いたいとおもっています
稲穂が、綺麗な金色に輝いています!!!
私が小さいころは、山の麓まで、一面田んぼでしたが
現在は、田んぼをやっている家は数える程...
日本の山村の田園風景は年々減少していくのを実感しています
師匠のお宅も、以前は沢山の田んぼをやっていたそうですが、現在は食べるに困らない量だけとの事
「身体が動くうちは、米ぐらいは作りたい」
と話していました
米ぐらいはと言いますが、かなり色んな事されてますよ、師匠!
百姓と呼ばれた人達
昔は、農業を専業として生計を立てていた人々もいたが、多くは”兼業”だったそうです
大工さんや鍛冶職人、屋根屋、左官、髪結い、畳屋等、多くの場合専門の職人等おらず
百姓が畑の合間に営んでいたそうです
お寺は僧侶だったそうですが、神職は「百姓神主」の割合がかなり高かったとされているそうです
( 実際、師匠の本家は、神社みたいなのがありました )
百姓が1つの仕事にとらわれず、臨機応変に世の中から必要とされる仕事を兼業していたという事ですね
まさに、師匠は百姓です!!
生きるための知恵と技術の宝庫のような人だと思います
米を刈る
昔は、「稲刈り」と「米こぎ」と
作業が分かれていたそうですが
現在は、コンバインで一緒に
行っているそうです
十数年前までは、どこの家でもコメを刈り、「はせ」と呼ばれる足場に、稲の束を干し乾燥させ
「わら」と「こめ」に分ける作業「米こぎ」(脱穀?)を行っていました
私が小さい時は、確かに何処の家でもそうでした(現在も継続している家もあります)
「天日干し」した米は「美味しい」と話す方もいるそうですが
実際は食べ比べないと分からないそうですよ
米の運搬
ここからが、私の出番です
師匠が刈った米を運びます!
一袋、約30~36㎏ぐらいです!!!
同じ米袋を持っているのに、師匠と違い、私はフラフラしてます(汗)
基本的な身体の使い方が下手なんだと思います
刈った米は、師匠宅の倉庫にある、乾燥機で乾燥させるそうです
田んぼの四隅を刈る!?
もう一つ、重要なお手伝い!
田んぼの四隅の稲を手作業で刈る仕事です
稲刈り機(コンバイン)が取回せるスペースを作る必要があるそうです
これは、やはり手作業との事
四隅だけ手作業で刈りましたが、昔はこれを全部やっていたかと思うと
「昔の人達は偉大だ!」 と 思います
お米ともち米???
「違いがわかるか?」 と 師匠
???分かりません???
左の写真は「うるち米」いわゆる、御飯(白米)となるお米
右の写真は「もち米」
だそうですが・・・
パッと見た感じは全然分かりません
写真撮り忘れましたが、穂をむくとお米の色が違いました
「うるち米」は半透明っぽく、「もち米」は白かったです
先人の知恵
米の運搬先は、師匠の家の裏にある土蔵です
この土蔵は、師匠のおじいさんとお父さんが作ったものだそうです
それもすごかったのですが、その米を貯蔵する米びつ(表現が違うと思いますが)もすごかったです
何に感動したかというと、手作りということもそうなのですが、その構造です
板を何枚も重ねて蓋をしていくのですが、その番号通り入れないと入らないようになっているんです!
番号が書かれた板でしたが、柱の溝にはめ込んで蓋をしてきます
しかし…手順通りいれないと絶対に入らないんです!
右側(黒っぽい)柱の上部の部分が、他の場所より溝が深くなっており
①右側から入れ、次に②左側をいれ、③板を下に下げていく
という手順をふまないと、絶対にはめれないんです
古い箪笥や、高い箪笥なんかも、引き出しの順番が決まってたりしますよね
見た目にはわかりずらいですが、昔の人たちは改めてすごいと思いました
新米!!
今日刈ったお米の乾燥が終ったら
今年の新米が食べられるそうです
お手伝いのお礼に新米を頂ける事になりました!!!
もう、お世話になりっぱなしなのに(涙)
すいません。
そして、ありがとうございます!
師匠の奥さんに、今日もお昼ご飯、御馳走になりました
やっぱり、とても美味しかったです!
ごちそうさまでした!
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